雛祭りの本当の意味

373 :1/5:2006/05/05(金) 20:02:59 ID:tqa7unpK0
 
久米と旅行に行ったのは、三月の終り近くだった。 
新学期になる前に行っちゃおうってんで、無理して予定を組んだものだ。 
「あんま観光地らしいとこ行きたくねぇなぁ」等と言うものだから、街から少し遠い山間の宿になった。 
宿の傍には川が流れ、その川を下っていくと街に出る。 
とはいえ、街に出て何があると言うわけでもないので、俺達はぶらぶらしたり温泉を探したりして1日を潰した。 

山間の日は傾くのが早いか、既に道も空も赤々と燃え立つようだった。 
俺達は川べりを歩き、橋の上から赤錆色の川を眺めていた。 
「おはっ、アレは、おい……うぇ」 
久米が奇声を上げて指差したので、俺はつられて川上を見た。 
「なんだ。箱……舟……?」 
それは四角い箱の様な物に乗せられた、2体の人形だった。 
俺は川べりに向い、その舟を迎え入れる様にして、手を伸ばした瞬間、
「バカッ!触るな!」と、怒号とともに引き摺り倒された。 
「な、なにしやがんだよ!くそっ!濡れちまったじゃないか」 
「冗談じゃないぞ、馬鹿!!……何考えてんだ、お前……」 
久米は胸を大きく上下させる、その顔は青かった。 


374 :2/5:2006/05/05(金) 20:03:30 ID:tqa7unpK0
 
「なんだよ、どうしたんだ」
「今日は何日だ?」
「は?今日?27じゃないか?」 
久米は逆算する様に指折ると、ハッとして顔を上げた。 
「いぃぃ……やっぱり……重用だ……」 
俺は彼の動揺をよそに、川に目を落した。人形の舟はゆるゆると川を下っていった。 
「アレがどうかしたのか?」
「なに?どう?どうもこうもあるか!」
ちょっと息を止めてからゆっくり吐いて、
「あぁ……へ、へ、へっ……あれはヤバいっつんだよ」 
と言って、さっさと背を向けて歩いていく。 
俺はそれを追いながら問いかけたが、芳しい答えはかえってこなかった。 

「あ~、かわい~」 
はしゃいだ女の声だった。久米は跳ねる様に振り返ると、凍り付いた。 
カップルがその舟を抱えてニコニコと笑っていた。 
固まった俺達の気も知らないで、二人は笑って会釈した。 


375 :3/5:2006/05/05(金) 20:04:00 ID:tqa7unpK0
 
「やっぱりぃ、日本の心みたいな、風情みたいなのがあるじゃないですかぁ」 
等と、自称日本好きの二人が、固まりきった俺達に話し掛けて来たが、
久米は明らかに不快そうな顔をしていたので、代りに俺が受け答えをした。 
「えぇ~、二人とも宿一緒じゃないですかァ~」と男が言った。久米は増々不快そうな顔をした。 

宿へ着いた後も、久米はしかめ面のままだった。 
「おまえ、ほんとにどうしたんだよ」 
「あ……?話は、な、帰りにしてやるよ、な。今は言いたくない……。それよりメシだ。メシ食う」 
籐椅子をバンと叩いて立ち上がると、食堂まで駆ける様に歩いていった。

出された夕食はたいしたものではなかったが、何故かイナゴという下手物が入っていた。 
「俺はコレ、食えないな」
「いいじゃねぇかよ。腹に入りゃ……」と話していると、
「あ~」という声。 
なんだ?と思って振仰ぐと、さっきのバカップルが立っていた。 
ニコニコと俺達の横に席を取ると、べらべらと喋りながら次々に料理を口に運んだ。 
イナゴも平気そうに口へ運ぶ。何故かその時、その様がえらくゆっくりと見えた。 
そのイナゴは腹が白かった。白ゴマの様なものが和えてあって…… 
うっ、と久米がえずいて席を立った。 
俺もそれを追って席を立ち、彼を介抱しながら部屋へ向った。 

「おい……お前、あれ見たか?」
「あれって、あの白いやつか?」 
「ありゃ卵だ……」 
イナゴの腹に付いている……ビッシリとくっ付いていたのは…… 
「違う、お前。見えてなかったんだな……あいつらの料理、どれもこれも表面真っ白だったじゃねぇか……。 
 皿の上一面、卵で覆われてたじゃねぇかよ……」 


376 :4/5:2006/05/05(金) 20:05:15 ID:tqa7unpK0
 
部屋に着くと、彼は青い顔で倒れ込んだ。 
「なぁ、そろそろ教えちゃくれないか?」 
「うん、ああ……今日はひな祭りだ……」 
「え?」
「重用だ。上巳だったんだなぁ……クソッ、忘れてた……」 
「何言ってんだよ?3日はもう過ぎてるぜ?」 
「陰暦の3日だよ、今日は。重用ってのは、月と日が重なる日の事。とくに奇数月」 
「でも、ひな祭りっつったって、別に舟で流しゃしないだろ。寺山修司じゃあるまいし」 
「流すんだよ」
「なんで?」
「……いいか。雛祭は女の子が人形を飾る祭じゃないんだ。祭と言うのは“神奉り”。人形は形代、憑坐だ。 
 しかも春の節供だ。季節の変わり目。穢れを払って、新しい春を迎えなければならない。 
 だから人形に穢れを移し、荒魂を流し、和魂を呼び込む。あの人形はそういう人形なんだよ」 
「つまり?」
「鬼ごっこと一緒。人形にタッチして禍いを移して、異界に流す。村の外に出てたらもう帰ってこないからな。 
 つまり、あの人形に触ると……そいつが鬼になっちゃうんだよ。禍いが移されるんだ。 
 ……普段、この地方ではやらない様だからな……余程、流さねばならない禍があったんだろう」 
「あ、あのカップルは……」
「さぁな?境を越えたら……どうなることやら……」 

で、翌朝。
彼等と帰りのバスではち合わせた久米は、瞠目して固まり、俺に耳打ちした。 
「あのバカップル……顔……あるか?」


377 :5/5 お粗末様でした:2006/05/05(金) 20:06:06 ID:tqa7unpK0
 
チラと見ると、確かに顔はあるが、どことなく白んでいてぼやけているような気がする。
「真っ白だ」 
「え?」 
「見えねぇ、冗談じゃねぇよ」
彼にはカップルの顔は見えないらしい。俺には良くわからなかった。 

俺達に気付いたカップルは会釈をして、バスに乗り込んだ。俺達は彼等の後ろの席に座った。 
「ひぃ、ふぅ、みぃ、よ、いぃ、むぅ、なぁ、や、こぉこぉの、たり……」 
と数えながら、久米は一から十までをピラミッド上に書き、その紙をポケットに入れた。 

バスはゆらゆらと山道を下っていって、俺達はいつの間にか町に入って、はずれまで出ようとしていた。 
突然、久米が俺の腕を引いて立ち上がり、降車のボタンを押す。 
せわしなく動きながら早くしろと合図するので、俺はどかどかとバスを降りた。 
「なんだよ、もう!」
「孵りやがった!」
久米はポケットに手を突っ込んで、行こうとしているバスを見つめた。 
「かえる?なにが!?」
「境を越えたんだ。あの卵、長いのを孵しやがった」 
「だから、なにが!!」 
「卵だよ、卵!顔が見えねぇっつったろうが!やつら顔一面に、びっしりと白い卵が植え付けられてた! 
 それが、おまえ一斉にな。顔から動く毛がはえたみたいに一斉に……長いのが孵りやがった」 
「まさか」
と俺がバスに目をやると、バスが動きだして、チラリとその女の顔が寝返りをうった。 
顔は腫上がって真っ赤だった。小さいニキビの様なものが隙間なくプツプツと湧いていた。 
俺達は行くバスを見送って立ち尽くした。